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【im@s×特撮】ゴジラ誕生 第4話 観覧メモ 





第1話観覧メモ

第2話観覧メモ

第3話観覧メモ芥川也寸志(1925年7月12日 - 1989年1月31日)当時29歳

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>文豪・芥川龍之介の三男として東京市滝野川区(現・北区)田端に生まれる。母は海軍少佐・塚本善五郎の娘・文。兄は俳優・芥川比呂志。也寸志の名は龍之介が親友の法哲学者・恒藤恭(つねとう きょう)の名「恭」を訓読みし万葉仮名に当て命名された。

>1947年に東京音楽学校(藝大音楽学科前身)本科を首席で卒業。快活で力強い作風と言われ、特に人気のある代表作に『交響三章』『交響管弦楽のための音楽』『弦楽のための三楽章』などが挙げられる。また映画音楽・放送音楽の分野でも『八甲田山』『八つ墓村(野村芳太郎監督)』『赤穂浪士のテーマ』などが知られると共に、童謡『小鳥の歌』『こおろぎ』等の作曲者としても知られる。そのほか、多くの学校の校歌や日産自動車の「世界の恋人」など、団体(企業等)のCMソングや社歌も手がけている。

>結婚を3度したが、2度目の妻は女優・草笛光子である(1960年に結婚、1962年に離婚)


流石の血筋だねえ…と思いつつ


>父・龍之介に対しては尊敬の念を抱いていたが、同時に「学校を卒業して社会に出た時には、ことある毎に〈文豪の三男〉などと紹介され、いい年をして、親父に手を引っぱられて歩いているような気恥ずかしさに、やり切れなかった」「'父が死んだ年齢である三十六歳を越えていく時は、もっとやり切れなかった。毎日のように、畜生! 畜生! と心の中で叫んでいた。無論、自分が確立されていないおのれ自身への怒りであった」(『父や母のこと』)とも告白していた。


そりゃそうだよね…誰もがそう思うもん。



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黛敏郎(1929年2月20日 - 1997年4月10日)
日本の作曲家。戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人として知られる。また、東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。当時25歳。

>代表作となった「涅槃交響曲」では、声明を模した男声合唱を取り入れ、さらに鐘の音をNHK電子音楽スタジオで音響スペクトル解析した上オーケストラで再現した。「カンパノロジー・エフェクト」と自ら呼んだこのアイデアは、奇しくも現在フランスの現代音楽シーンの主流を占めるスペクトル楽派の一人トリスタン・ミュライユの管弦楽曲「ゴンドワナ」を約20年先取りするものであった。

>クラシック関係以外の音楽では『赤線地帯』『豚と軍艦』『天地創造』『黒部の太陽』など、多くの映画音楽を手がけた他、日本テレビの『NNNニュース』のテーマ曲などを作曲している。また、同じく日本テレビのスポーツ番組のテーマ曲である「スポーツ行進曲」は、日本でも珍しいオーケストラ用行進曲の名作である。現代音楽の作曲家としても多方面な活躍を見せた。


この方は私世代でも題名のない音楽会で有名です。

あと個人的には
>1970年代前後に、楽壇では珍しく保守派文化人となり、1970年代後半に結成され論憲・改憲を提唱する保守系団体「日本を守る国民会議」議長を務めた(現:日本会議)。だが、このような保守的政治活動のために左派色が強い楽壇からは事実上排斥され、後期の作品は生活のために書いた上記の宗教音楽や実用音楽などが主となり、2曲の歌劇(『金閣寺』と『古事記』)などを除き、純音楽の創作は極端に少なくなった。


これで有名なんですな。なんだろうねこの演劇界もそうだけど左翼に非ずんば創作家に非ずの風潮。今はちっとはマシに…なってないだろうな。芥川也寸志氏は真左の方だったそうですし。


>彼は団伊玖磨、芥川也寸志と「三人の会」を結成し活動していましたが、芥川と黛は政治的な立場は正反対でした。
芥川が亡くなったとき、「題名のない音楽会」ではその追悼番組をやりました。

>黛はその番組の最初から最後まで泣きっぱなしで(あのダンディな彼が!)、「芥川とは政治的な立場は異にしていましたが」とことわりながらも芥川の業績を評価し、人間を懐かしんでいました。
そう、芸術とは、そして友情とは、そういうものなのではないでしょうか?

こちらのブログより引用。故三宅久之氏と田嶋陽子氏を彷彿とする関係ですね。



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月形 龍之介(伊集院北斗)(1902年(明治35年)3月18日 - 1970年(昭和45年)8月30日)
映画俳優。本名は門田潔人(もんでん きよと)。約半世紀の間時代劇スターとして活躍し、剣戟映画の剣士役から悪役、戦後は渋みと風格のある脇役として約500本以上の映画に出演した。


>1924年の『討たるゝ者』に準主役で出演し、出世作とした。
>1943年黒澤明監督のデビュー作である『姿三四郎』で檜垣源之助、稲垣浩監督の『無法松の一生』で結城重蔵を演じ、どちらとも重厚な演技で場面を引き締めることに貢献している。


この方はさすがにピンとこないです。姿三四郎くらいですかね。


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三縄 一郎(みなわ いちろう、1918年2月14日 - )当時36歳、現在96歳
日本映画の音響効果技師。1937年に東京音楽大学を卒業。1942年、東宝映画に入社。1971年に東宝効果集団を設立するも1987年に解散する。


え…この人の履歴すごくない?黒澤明御用達だし、市川崑、神山征二郎、森谷司郎、岡本喜八、大林宣彦と錚々たるメンバーに重用されてた様子が伺えるんですが。




成田 亨(御手洗翔馬)(1929年9月3日 - 2002年2月26日)当時25歳。

>1954年、美術学校卒業後、友人に誘われ、映画作品『ゴジラ』にアルバイト参加。怪獣ゴジラに壊される建物のミニチュアを制作。以後、美術スタッフとして、各映画会社の特撮作品に加わる

>1965年春、円谷特技プロダクションの契約社員となり、特撮テレビ映画『ウルトラQ』(1966年、TBS)の第2クールから美術監督を務める。続く『ウルトラマン』(1966年、TBS)、『ウルトラセブン』(1967年、TBS)、『マイティジャック』(1968年、フジテレビ)でも、怪獣やレギュラーメカのデザインを手がけた。これらキャラクターデザインに関しては、後にその著作権を巡り、円谷プロと争うことになる。


ああ…コメントが成田先生と大盛り上がりなのはこれか。ウルトラマンの造型を作った人なのね。あの「無表情だけど表情豊か」な顔作ったならそりゃレジェンドだわ。



>この数年後にはその反応がガラリと変わるんだから面白いねえ
今では招致委員会なんかも珍しくないそうで。



…500回測量www死ねるwwwwwww
ほんと凄いなあ。



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これも知らないなあ…



>おめーらは1/25サイズのミニチュアを作った経験があんのか!w
確かに。



木村 篤太郎(きむら とくたろう、1886年(明治19年)2月7日 - 1982年(昭和57年)8月8日)当時68歳。
検事総長(第19代)、第一東京弁護士会会長(第16代)、法務大臣(初代)、保安庁長官(初代)、防衛庁長官(初代)、全日本剣道連盟会長(初代)等を歴任した。


この方は検事総長出身ということで吉田茂が反共政策の為に重用したことで物凄く有名ですな。破防法を制定した国士中の国士。


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その位にあらずともその事を行ひ
自家の米櫃を憂えずして国家の経綸に志す者は浪人なり
即ち浪人は政府又は人民より頼まるるに非ず
また一銭半銭の報を得るに非ずして自ら好んで天下の事に当る

*経綸:家の秩序をととのえ治めること。また、その方策

カテゴリ: ネット関連

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