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寛容と不寛容 

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最近思うけど、寛容と不寛容のバランスが難しい。


一般論で言えば不寛容よりも寛容さのほうが良しとされる(と思う)が最近思うのは寛容なのは不寛容なのよりも性質が悪いのではないかということ。


他人のミスに対して、余程のことでもない限りそこまで人を詰(なじ)るとかしないのです。
適切な怒り方が難しいということも感じていますが、それはまた別の話。

人が生きるの死ぬの、法律に引っかかるの以外は割とどーでもいいという父譲りのポリシーの下で生きております。
が、当たり前の話ですが他人はそうではないということ。そしてこの考えを他人には強要できないのであります。


他人がミスして、謝罪があった場合には努めて赦すようにしております。
が、自分がいつも赦しているからといってその人が私を赦すかと言えば、これが必ずしもそうではない。

私に言わせれば「いつもそっちの細々したことは気づいても黙って飲み込んで、余程のことでない限りはいいよいいよで済ませてるのに、
なぜこっちのミスを鬼の首を取ったようによくもまあ言えたもんだ」と思うわけです。お互い様だろと言いたいのですが
赦す赦さないというのは人との関係性に依らず自分の中のポリシーに拠ってるわけで、そのお互い様が通用しない。

あの時こうだったのにと言いたいけど怒りというものは時間軸に依らずその時の感情に拠るものなのでこのアプローチも通じない。


いつも殴り慣れてる人間は殴られたところで大したことは無いが、殴り慣れていないとちょっと殴られただけでも・・・まあ腹の立つこと(笑)
私の覚悟のなさと言われればそれまでですが。


「殴られたくない だから極力殴るな」が正直な私の主張で、そういう世の中にならないものかと思ってるけど難しい。


今まではそれでも誰が相手でも黙って堪えてたけど、最近金子の絡まない相手に関しては我慢が出来ないことが多い。
そのくらいのことでガタガタ抜かすなコンチクショウメという趣旨の台詞を吐くことがしばしば。


殴られたくないが故に他人の怒りに関して不寛容で沸点が高くて、それに対しては食って掛かって結局こじれてくさくさするよりも
誰に対しても不寛容で、殴る代わりに殴られても沸点が低くないほうがいい生き方のような気がしてきたと、またひとつ年をとって思う。


こうして口煩い頑固ジジィが出来上がっていくのかね(笑)
本当はスルースキルを身に着けて、他人の失態も、自分の失態に関する叱責も双方をスルーできればいいんだろうけど、そんな利口にゃなれねぇ。

カテゴリ: 日記・時事系

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