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東北大震災当日の様子 

この度の東北大震災の被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、残念ながら津波等により犠牲となられた方々に心より哀悼の意を表します。


2011年3月20日午前記

 

 

未だ余震は続き、福島第一原子力発電所の状況も不安定極まりますが、少なくとも現在わかっている津波被害の犠牲者だけでもこの9日で阪神淡路大震災の被害者総数を越え、犠牲者は万の単位になることがほぼ確実な情勢で、掛け値なしに我が国始まって以来未曾有の大事件であり、世界的に見ても極めて稀な大地震であったことは間違いありません。

福島第一原子力発電所の放射能について、東京人としては常に注視しているところではありますが、楽観論悲観論ともに様々な言説が飛び交っており、今日のところはこれに言及はしません。


備忘録ということで、宮城をはじめとする被災者の方々に比べれば些細なことではありますが、2011年3月11日当日の様子をtwitterを元に書き留めておこうと思います。

 

 


3月12日はやみーちぇが中心となってオフ会をする予定でした。先般行った福岡で貰ったバレンタインのお返しをオフの時に渡そうと思って、私が一度買ってみたいと思っていたチョコレートを買いにいくところでした。

…今から考えれば何かの前兆だったかもしれませんが、朝は睡眠3時間くらいで目を覚まし愛犬の散歩をし、昼前に少し仮眠を取りました。その時に悪夢を見たんです。悪夢自体は別に珍しくもないんですが大抵は学校留年系か、あり得ない高さまで登って降りれなくなるか落下するという墜落系の2つなんですが、その時はうちの近所から山が見えて、赤い稲光とともに轟音が響き、溶岩が流れてきて逃げまどうという夢と、歯を食いしばりすぎて歯がごっそり抜けるというものでした。オカルト系の話は全く信じないこの私も、後々考えるとちょっと怖いものを感じました。

銀座のメサージュ・ド・ローズに行く前に、行きつけの本屋である高田馬場の芳林堂書店に行き本を物色。その後久々につけめんのべんてんへ行き、ちょうど食べ終わって店を出たところであの悪夢の2時46分を迎えました。
正直一瞬食べ過ぎでクラっときたのかと思ってしまいましたが、店に並んでた学生数人組もすぐに騒ぎ出し、電柱が大きく揺れ、店の中の客も店主以下も全員出てきまして、周りのビルからも人が続々と飛び出してきて騒然となりました。

幸い、電柱にさえ気をつければ大きな余震があっても最悪命の心配は無いところだったので、しばらくそこで様子を見ました。その時点で宮城が震度6との情報が流れました。らいにゃんやにっくんの安否が気になりましたが、よもやここまでの大惨事とはこの時点では思いもよりませんでした。既にここで電話は不通状態でしたが、この時点ではまだ銀座に行くべきか行かざるべきかという色気を出してます。

10分ほど経って駅前へ。近くの芳文社ビルが総ガラス張りで、こういうのはやはり怖かったです。子供の頃読んだ宜保愛子の漫画で、戦時中に亡くなった子供の霊で、背中に無数の割れたガラスが突き刺さる…みたいな描写がありましたが、それを思い出しましたね。

駅前広場は騒然としていましたが、とりあえず駅の中へ。皆がテレビでやってるNHKに釘付けで、JR全線不通のアナウンス。

午前中から出かけている母とはメールでなんとか連絡が取れ、祖母と一緒に町田のコストコにいるとの情報。妹は私が家を出た段階ではまだいましたが、連絡が取れず不安でした。家具が倒れないような最低限の対策はしていましたが、タンスに潰されてでもしたらどうしようかと気が気でない状態。

最初は流しのタクシーを拾おうと思ったけど全然拾えず。そうするうちに結構強い余震が。これが3時15分くらい。この時点で長期戦の予感がしたので駅構内のキオスクにあるATMでさしあたり5万円下ろす。改札を出るときに、駅員さんに新宿への道を聞いてる若い男性がいたので声をかけて小滝橋方面への都バスは出ているよと教えたら、駅員さんに即座に「都バス止まりました」と訂正され、バスでの経路も絶たれたことを知る。

ひとまず駅前広場へ。ここも大規模余震があっても地割れが無い限り安全な場所だったのでしばらくそこに留まって、iPhoneの電池が50%くらいになっていたのでとりあえずコンビニでiPhoneの充電器を買いにいく。日拓の並びのセブンイレブンではワインが割れて瓶が散乱していました。一度広場に戻ると雨が降ってきたので再びセブンに行き傘を買う。

ここで母から2度目のメール。妹とは連絡が取れた模様。しかし外出しており家には犬がひとりぼっちでいるとのこと。そしてコストコの駐車場が崩落して車が出れなくなっているとのこと。
気がつくとタクシー乗り場には長蛇の列。一応並んではみたものの、7~80人並んでいるのに10分に1台くらいしかやってこない。20分ほど待って埒があかないと思い不安はあったものの歩き始める。この時16時40分。
保善高校のところを左折し明治通りを右折しずっと直進。新宿5丁目交番前が17時15分。新宿の駅前を通るのはちょっと怖かったけど甲州街道をずっと歩いていき、最終的に家に着いたのが19時過ぎ。

うちの犬は無事でした。家の中も散乱した様子もなく、せいぜいキッチンの引き出しが開いてたくらい。何も身を守る術の無いこの子が無事だったことで最大の懸案事項は片付きましたが、次に心配するべくは16時くらいから連絡が途絶えたっきりの母。テレビにコストコの崩落現場が流れ、女性がひとり心肺停止状態だというのを聞くと、祖母と一緒なんだしさっき連絡があったから被害に遭ってる可能性はかなり低いという判断はできたものの、不安は募りました。

しばらくするとお隣りの人が訪ねてきました。対応するにどうやら隣の屋根が崩れて、瓦がうちのガレージのガラス屋根を突き破ったとのこと。後で見たらまあものの見事に2つ綺麗な穴が空いていました。まあ怪我人がいなかっただけよしと思いましたが、しばらくすると再び同じ方が。なんでも母からお隣りに電話があり、私と連絡がつかないので連絡を取って欲しいとのこと。連絡がつかないのはこっちだよと思いつつも安心。その直後に家に公衆電話から電話があり、母とようやく通話することができました。

最初、なんで連絡しないのかと母が随分怒ってましたがメール10件以上入れてることを知って驚いてました。そりゃ遅延も起こりますわな。なんでも買い物をする前、車から降りようとした矢先に車中でシェイキングされたそうで、そう考えるとあと数分遅かったら死んでたわけですが、無理からぬことですがそれにうちのお祖母様がショックを受けまして気持ち悪くなってしまったらしく、町田から八王子の病院に搬送されてしまったらしいのです。

幸いにも叔父が迎えに行ってくれたので、私も叔父に同乗して迎えにいきました。妹はというと五反田で地震を迎えたらしく、帰るに帰れないところ友達の家がすぐ近くにあったらしくそこに身を寄せ、夜中になって友達のお父様が送ってくださったそうで、明け方には一家が家に揃うことができました。

 

以上が当日のことの顛末です。今回は電話もメールも不通になる中、twitterが大いに活躍しました。勿論雑多な情報なども流れますが、それを含めて非常時にはとにかく情報があることが精神安定上大切だと痛感しました。

ちなみに現在も車はまだ出せていません。コストコの崩落したスローブを直してたら何ヶ月かかるかわからないということで、何か別の方法(クレーン等?)を考えるので鍵を送って欲しいと言われたのが17日。いつ返ってくるのでしょうかね。

カテゴリ: 日記・時事系

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