07« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»09

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

tb: --    cm: --

福岡旅行の写真 

09100301DSC01017.JPG

7月に福岡に行って文月みさきちゃん、メガ☆マリさんと一緒に回った福岡観光の写真。

太宰府天満宮。

ちょうどこの日は7月25日。天満宮の夏まつりの日でした。

夏まつり 24日(金)14時・25日(土)11時 本殿にて祭典
御祭神の菅原道真公の御誕生日(旧暦6月25日)をお祝いする夏まつりが24・25日の両日にわたり行われます。
楼門前には、茅の輪が立てられ文芸灯籠が飾られます。24日午後からは、子供みこしが町内を練り歩きます。
25日夜、心字池の約1000本のローソクに御神火がともされ、千灯明の明かりが水面に揺れ猛暑を忘れさせてくれます。

09100301DSC00970.JPG

09100301DSC00971.JPG

09100301DSC00972.JPG

09100301DSC00973.JPG

09100301DSC00978.JPG

09100301DSC00981.JPG

09100301DSC00991.JPG

見事な氷像。お目見えの瞬間から既に溶け始めてましたw

09100301DSC00997.JPG

有名な菅公の飛梅。

09100301DSC01015.JPG

09100301DSC01019.JPG

Q、太宰府天満宮では、牛の像をよく見かけますがそれはなぜですか?

A、菅公は、承和12年(845)乙丑(きのとうし)の歳に、お生まれになりました。また、この大宰府でなくなられた後、その御遺骸は都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進み、牛車の止まったところ、当時の四堂のほとりに葬られました。このことが、太宰府天満宮の始まりとなりました。
また、天神信仰が初め農耕神として発展したことや、当時牛が農耕のシンボル的存在だったことも大きく関係しています。
ご自身の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めて、お互いに撫でさすれば身体健全はもとより病気全快するといわれ、また神牛の頭部を同じように撫でさすれば、知恵が付くという信仰がございます。

09100301DSC01021.JPG

茅の輪(ちのわ)くぐり(楼門前)24日(金)・25日(土)常設
楼門前には、茅の輪(茅草で作られた大きな輪)が設けられます。
この茅の輪をくぐっていただき穢や災いを祓う神事です。これは『備後風土記』に記された蘇民将来(そみんしょうらい)が茅の輪を悪疫除去のしるしとした伝承によるものです。
海水で身を清めたり、人形に穢を託して川に流したりする神事と同様に、夏に流行する病気や悪疫を除去する願いがあります。

09100301DSC01039.JPG

09100301DSC01048.JPG

宝物殿。このときは閉館中。

09100301DSC01057.JPG

心字池に架かる御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなり、過去・現在・未来の三世一念という仏教思想を残しています。
橋の下に澄みわたる心字池は漢字の心を形どり、池の中で優雅に泳ぐ鯉たちは、人々を楽しませています。

09100301DSC01063.JPG

お抹茶w

09100301DSC01076.JPG

境内にあった大正浪漫風の喫茶店。内装がとても素敵でした。アイリッシュコーヒー。

09100301DSC01078.JPG

09100301DSC01081.JPG

元祖長浜ラーメン。

09100301DSC01083.JPG

09100301DSC01084.JPG

親不幸通り改め親富孝通りの由来

1970年代にさかのぼる。通りの北部には水城学園、九州英数学舘という当時地元では大手であった予備校があり、そこに通う予備校生が多くこの通りを通っていたことから「親不孝通り」と呼ばれるようになった。

 当初は予備校生を対象とした喫茶店やゲームセンターなどが立ち並んでいたが、しだいに若者の集まる通りとして居酒屋やバー、カラオケボックスなどが立ち並ぶようになり、夜の街へと変貌していった。バブル期には九州最大級のディスコマリアクラブが開店。同時期にストリートミュージシャンのメッカにもなり若者の街として全国に知られるようになった。一方、親不孝通りの名前の由来となった2つの予備校は、少子化と、その後相次いで福岡に進出した大手全国区予備校(河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備校など)の影響とを受けて予備校としての営業を終了している。


若者の集まる繁華街として賑わう一方で犯罪なども増加した。こうしたなか「親不孝通り」という名称がイメージが悪く犯罪の誘発の一因となっているという声が上がり、本来の「天神万町通り」の名称を浸透させようと福岡市や通り沿いの商店が「親不孝通り」と書かれた看板等を撤去したものの全く浸透せず、2000年に「おやふこう」の発音を残した「親富孝通り」と改称された。ただし2008年現在、完全に浸透しているとは言えない。

09100301DSC01086.JPG

博多のアニメイト。

09100301DSC01089.JPG

同とらのあな。

09100301DSC01091.JPG

カテゴリ: イベント系、旅行

tb: --    cm: --

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。