09« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»11

雲光院参拝 

acyadehap.JPG

阿茶局の墓所、清澄白河にある雲光院に参拝。

 

阿茶局は徳川家康の側室のひとり。

一度流産し結局子供こそもうけなかったものの、他の愛玩するだけの側室と異なり外交官としての才能を発揮。他の側室の取り纏め役ともなり、大阪冬の陣の和議では東軍代表として交渉にあたる(西軍代表は浅井三姉妹のひとりお初こと常高院)。家康薨去後もその才能を引き続き認められ、秀忠が幕府の総力を挙げて行った一大プロジェクトである和姫入内の際には後見人として入京。和子(まさこ)姫の盾となり長年尽力し、民部卿の名を賜る。

いち側室から従一位という女性としての最高位に上り詰めたスーパーキャリアウーマン。葵徳川三代では三林京子さんが好演されていらっしゃいました。

 

ちなみに従一位に叙せられるのは関白退任後太政大臣に任ぜられた者、将軍生母など。明治以降は正一位に叙せられたものはいないので、現在与えられる最高位となる。総理大臣で特に功績のあったものに贈られる。結構多いですが殆ど公家の男性。女性は数えるほどしかいません。

887年に藤原淑子(宇多天皇義母、この人もキャリアウーマン)。

1008年に源倫子(藤原道長正室、当時芽の出てなかった道長を選んだ先見の明のある女性)。

1109年に源師子(白河天皇側室、のちに下げ渡され藤原忠実室、息子忠通も関白)。中世ではこの3人。

 

1588年に高台院(ねね、豊臣秀吉正室)。

1702年に桂昌院(徳川家光側室、徳川綱吉生母。綱吉の強い奏請によるこの叙任は忠臣蔵の松の廊下事件で有名かと)。

1709年に鷹司信子(没時追贈、徳川綱吉正室)。

1763年に鷹司孝子(没時追贈、徳川家光正室)。

1842年に広大院(島津重豪娘、11代徳川家斉正室。最初の名前は篤姫、天璋院篤姫はこれにあやかる)。

1900年に中山慶子(孝明天皇側室、明治天皇生母)。

1943年に柳原愛子(没後追贈、明治天皇典侍、大正天皇生母)。

有史以来11人、没後追贈を除くと8人。しかも天下人の正室か天皇・関白の正室か生母ばかり。この面子を見てもまさに異色かと。

 

 

・・・というわけで、清澄白河にある雲光院へ。

P100004109060901.JPG

 

P100004209060901.JPG

寺の正面にはわかりやすく石碑が。

P100003909060901.JPG

ひときわ大きい雲光院の墓所。

P100003809060901.JPG

一位尼。上に挙げた人たちもみんな「一位様」とか呼ばれてますね。それだけ名誉で希少なことだったということでしょうか。

P100003709060901.JPGP100004009060901.JPG

カテゴリ: ロケ地探訪・聖地巡礼

tb: --    cm: --